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注文住宅・家を建てるときの不安は?~家づくり密着ドキュメント木村様ご一家~【D&H株式会社】

【家づくり密着ドキュメント 木村様ご一家】

 

「思い描く家を建てたい」

 

大手の数社のモデルハウスを見て、違和感があり、

リアルに生活をそこでは感じられなかった。

豪華な設備は目を引くけど、ここで暮らすのかな?と。

いろいろ調べていくうちに、目に留まったのが

リクルートの「注文住宅」に掲載されていたD&Hだった。

そして当時新宮(福岡市)にあったモデルハウスを見た時、

これだ、ここに住みたい!! と実感したという。

 

この家は、家族が一つ屋根の下に暮らしていることを

家のどこにいてもお互いの存在を感じられる。

物音だったり、臭いだったり、声も。

大きな家を建ててもバラバラになってしまったら、

小さいマンションに住んでた時の方が良かったんじゃないかなと思ってしまう。

この家は必ずリビングを通って(みんなのいるところを通って)外に出るので、

「ただいま、おかえり」がこの目線で、

テレビを見てても、料理をしてても、何をしてても家族が良く見える。

 

こういった作り一つ一つが、家族を大事にしていると感じる。

(D&Hの家に決めたのは)作りにすごく共感したというのがある。

居住空間が変わることによって生活スタイルも、マインド的にも変わる。

自分の仕事は決して楽ではないけれど、糧になっている部分はある。

 

奥様はこの家のプランナーさんに本当に感謝しているという。

「前に住んでいた分譲マンションが売れる前にこの土地を仮で予約させてもらったけど、

その間もなかなか売れなくて。

こちらも待って頂くのも非常に申し訳ないので、

もう予約を開放して頂いていいですよ、とまで言ったが、

結果マンションが売れるまでのケアをしてただいたのですごく感謝しています」

 

またもうひとつ良かった点を、

「最初にこういうプランを挙げて頂いた時にお見積りして頂いて

最終的に(予算以上に)膨らんでいたという話をよく聞くけど、それはなかった」

「結構、変更はしてるが、プランを詰めながら 逆に、ここでこれだけコストダウンできましたよ、と

きちんと言ってくれるのでそれで差し引きゼロになっている部分もあるのかもしれない」と語る。

 

ご主人様からは、

「何回も打ち合わせをしに行きましたけど、信頼できるような環境というか、

いつもそういう場を作ってもらっていたので、こちらも安心してすべてを任せられた。」

『早く家に帰りたくなる』という最高の言葉を頂けました。

 

お客様に寄り添い、信頼を得て、家つくりをすること。

 

D&H株式会社・坂口 剛彦社長は、「家が人を幸せにする」と語ります。

いつも同じ目標を持ったパートナーとしてお客様と 一緒に成長していける、

そんな関係でありたいと思っています」

 

D&H株式会社→詳しくはこちらから

 

 

 

 

 

●映像活用に関するご相談はメールでも受付けております。お気軽にどうぞ。→ご相談・問合せ

株式会社カウテレビジョン

カウテレビジョンは2004年企業専門の映像制作会社として創業。インターネットTV局という客観的なメディアをもち、企業の主観による情報発信ではなく”客観的な情報発信”をお手伝いすることを主眼に、報道ドキュメンタリーの形式による取材を心がけています。

 

◎インタビュアー:高橋康徳

元テレビ西日本(フジテレビ系)報道記者。911テロ取材をきっかけに独立を決意。
ニュース・ドキュメント番組の制作実績4500本。世界で活躍する日本人経営者をインタビューし、インターネットテレビ局で配信中。

注文住宅・家を建てるときの不安は?~家づくり密着ドキュメント杉尾様ご一家~【D&H株式会社】

【家づくり密着ドキュメント 杉尾様ご一家】

福岡市南区に念願の一戸建て住宅を建てる40代のご家族に密着し、

注文住宅の家づくりの過程に迫ります。

 

D&Hでは、経験豊かなプランナーと、何度も打ち合わせを重ねて、

ひとつづつ自分たちの家づくりをしていきます。

施主の杉尾様ご夫妻は、

「(自分たちが)あまり選択に迷わないようにいろんなパターンを試して、

その中で絞って、ご提案して頂いているんじゃないかと思います」

「ほとんどこれはダメというものがなくて、納得できるものばかりだったので、

(全部プランナーさんに)お任せしていいんじゃというくらいでした」

 

杉尾様は、家を建てる前に、あちこちのモデルハウスを見に行ったが、

どれも豪華すぎて、いまいちピンとこなかったといいます。

「豪華で部屋も広くて、庭も広くて、そういうモデルルームばかりで

でも、実際(土地や資金の問題で)そういうイメージで立てられないことの方が多い」

これは、これから家を建てようと考えている方が誰もが思う悩み事ではないでしょうか。

 

そんなお客様のお悩みを解決したのが『D&Hの体験宿泊型モデルハウス』

「現実的な部分を見せてくれるのがD&Hのモデルハウスだった」

展示場とは別に体験型のモデルハウスを所有し、

家を建てた時の雰囲気を身近に感じられるようなモデルハウス、

それは、プランニングから建築まで、お客様と同じ目線で暮らしを考え、
何十年と自分が暮らすつもりで一緒に家を造り上げていくという、

D&Hの考えが表れです。

 

そして、住宅引き渡し式。

D&H営業担当、楠田慎太郎さんは、

施主の杉尾様にサプライズの贈り物として、今までの家つくりの期間のDVDを渡しました。

「家づくりはお客様にとっても私たちにとっても大きなことで、

お子さんが大きくなって20歳くらいになった時に、

この家こんな感じで作ったんだよ、みんなで一緒に作ったんだよと

見返して頂けるとうれしいなと(思います)」

 

D&H株式会社・坂口 剛彦社長は、「家が人を幸せにする」と語ります。

「お引渡 はゴールではなく、あくまでも通過点ととらえ、時には見守り、

時にはかかわり、交流を続けていきます。

いつも同じ目標を持ったパートナーとしてお客様と 一緒に成長していける、

そんな関係でありたいと思っています」

 

 

 

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カウテレビジョンは2004年企業専門の映像制作会社として創業。インターネットTV局という客観的なメディアをもち、企業の主観による情報発信ではなく”客観的な情報発信”をお手伝いすることを主眼に、報道ドキュメンタリーの形式による取材を心がけています。

 

◎インタビュアー:高橋康徳

元テレビ西日本(フジテレビ系)報道記者。911テロ取材をきっかけに独立を決意。
ニュース・ドキュメント番組の制作実績4500本。世界で活躍する日本人経営者をインタビューし、インターネットテレビ局で配信中。

「家を建てることが仕事ではない」家族の幸せに寄り添う家つくり【D&H株式会社】

住宅メーカーD&H株式会社では、

プランニングから建築まで、お客様と同じ目線で暮らしを考え、
何十年と自分が暮らすつもりで一緒に家を造り上げていきます。

そしてお引渡 はゴールではなく、あくまでも通過点ととらえ時には見守り、

時にはかかわり、交流を続けていきます。

いつも同じ目標を持ったパートナーとしてお客様と 一緒に成長していける、

そんな関係でありたいと思っています。
私たちの仕事は、すべての「家族が幸せに暮らし豊かな人生を送る」ためのサポートと考えています。

(ディー・アンド・エイチ株式会社HPより・坂口 剛彦社長)

 

では実際の「D&Hの家つくり」とは?

 

住宅は多くの人にとって一生に一度の大きな買い物 です。

そんな家を建てる時のお客様の不安・・・

自分が望む思い通りの家が建つのか?

契約した後に料金が増えないか?

アフターフォローはしっかりしてくれるのか?

自分が望む思い通りの家が建つのか?

おそらくまだまだあると思います。

 

D&Hのお客様の目線で、お客様に寄り添いながら、

共に家つくりをしていく姿に密着しました。

 

「一生に一度の家づくり 3つの不安と解消法」

ディー・アンド・エイチ株式会社

 

 

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株式会社カウテレビジョン

カウテレビジョンは2004年企業専門の映像制作会社として創業。インターネットTV局という客観的なメディアをもち、企業の主観による情報発信ではなく”客観的な情報発信”をお手伝いすることを主眼に、報道ドキュメンタリーの形式による取材を心がけています。

 

◎インタビュアー:高橋康徳

元テレビ西日本(フジテレビ系)報道記者。911テロ取材をきっかけに独立を決意。
ニュース・ドキュメント番組の制作実績4500本。世界で活躍する日本人経営者をインタビューし、インターネットテレビ局で配信中。

「だから僕は挑戦したかった、チョコレート一本で」~ショコラティエの先駆者~【チョコレートショップ】

チョコレートショップは、福岡市博多区綱場町にある、

博多で愛され続けるチョコレート専門店です。

「九州一お客が集まる洋菓子店」の歴史と成長の秘密を

2代目佐野隆社長に伺います。

 

「初志を貫き専門店へ」

最初に店の売り上げを支えていたのは、昼間の弁当だった。

うちが初めて雑誌に載ったのは、「カレーの美味しいチョコレート屋さん」

「これじゃいかんやろ。やはり専門店じゃないとおかしい」

 

その頃、年商の3000万円のうち、1500万円をカレーと弁当で売り上げていた。

これをなくそうとしたとき、嫁さんと姉さん、家族全員が反対する。

「チョコレート特化全員反対!」

「あんた年商の半分カットしてカレーをなくすなんて生活できんっちゃない!!」

「何をしたいの?」

「ここにチョコレートを置きたい」

 

店の一番奥に8坪くらいのところに喫茶があった。

そこをつぶしてチョコレートを置きたい。

「ダメだ」

「ならデザートをやらせてくれ!」

 

大皿ケーキにクレープシュゼット。

火を点けてボワッとするやつ。当時はホテルでしか食べれなかった。

それを始めて福岡でやったのがうち。

当時九州で誰もやってなかったので、自分で研究してやった。

お客さんがものすごく喜んだ。

おかげさまで、それでお客様がものすごく来た。

日曜日はもともと休みだったが、県外からどんどん来ていただくようになって日曜日は閉めれなくなった。

 

デザートのおかげでお客様がどんどん来られるようになった。

それを2年間続けた。

年商もデザートのおかげで7000万から8000万くらいまで上がった。

(お客様が沢山来られる中で)必然的にチョコレートも売れ始めていた。

 

そこでもう一回嫁たちに言った。「これ(デザート)を止めさせてくれ!」

呆れかえられたけど、

「これはもうやりたい」

デザートはお客さんに喜んで頂く商品だったから2年間続けた。

もうひとつの本当の「喜ばし」、僕らは『チョコレート』なんだ。

 

喫茶を止めて店の一番奥にチョコレートのショーケースを置いて、チョコレートのコーナーを作った。

これが全く今の店の造りと同じ。

まだまだ世の中にチョコレートが浸透していない時代。

高級チョコレートとかトリュフとか言葉もない時代。

自分のおやじが夢を載せた商品。

僕は親が生きている間はその商品を否定してきた。

チョコレート屋に生まれたことをものすごく後悔していた。

「こいつ(チョコ)のおかげでうちは貧乏や。

こいつのせいで母ちゃんは外に働きに行かんといかん。

父ちゃんはチョコレートばっかり作りよる」

でもいま考えると、親父は死にもの狂いやった。

「このチョコレートで何とか俺はやりたいんだ」

家族が出来ても、これを売って商売をやるんだと命を懸けていたんじゃないかな・・・。

でも子供の頃、僕にはそれがわからなかった。

親父は必死で研究、切磋琢磨していたんでしょう。

僕は親が生きている間にそれがわからなくて、

死んで初めてその意志があるから、親の夢を僕はどうしても引き継ぎたかった。

 

だから僕は挑戦したかった、チョコレート一本で。

 

「工夫を重ねて市場開拓」に続く。

 

 

 

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カウテレビジョンは2004年企業専門の映像制作会社として創業。インターネットTV局という客観的なメディアをもち、企業の主観による情報発信ではなく”客観的な情報発信”をお手伝いすることを主眼に、報道ドキュメンタリーの形式による取材を心がけています。

 

◎インタビュアー:高橋康徳

元テレビ西日本(フジテレビ系)報道記者。911テロ取材をきっかけに独立を決意。
ニュース・ドキュメント番組の制作実績4500本。世界で活躍する日本人経営者をインタビューし、インターネットテレビ局で配信中。

「博多のチョコにしていこう」~ショコラティエの先駆者~【チョコレートショップ】

チョコレートショップは、福岡市博多区綱場町にある、

博多で愛され続けるチョコレート専門店です。

「九州一お客が集まる洋菓子店」の歴史と成長の秘密を

2代目佐野隆社長に伺います。

 

「工夫を重ねて市場開拓」

20年前当時、チョコレート一粒150円くらい、ケーキが200円くらいだったから非常に高かった。

チョコレートじゃなくて、トリュフじゃなくて、チョコレートのお菓子から入っていこう。

チョコレートの焼き菓子だったりクッキーだったり、

まずとっつきやすいものからお客様にアピールしていこうということで、

その辺の商品をグッとそろえた。

チョコレートを知って頂くため、15種類のお菓子の中の12種類はチョコレートケーキにした。

 

「このチョコレートのお菓子美味しい」と言っていただけるようになって初めて、

トリュフの予選切符を頂いたような気がします。

自分の想いばかりで、お客様の日うにチョコレートが向いていなかった。

自分たちのトリュフがお客様の方に頭を下げている商品であれば、

お客様に買って頂いていたかもしれない。

変な親子2代の気負いばかりあって、自分のマスターベーションだった。

もっとお客様に広げていく。

そこから僕らはヨーロッパ趣向の方向性から変えていった。

「博多のチョコにしていこう」

博多のお客様が喜ぶ触感とは何かそこから始めていった。

 

チョコレートお菓子が非常に喜ばれて商品がグッと(上向きに)なった時に、

初めてトリュフというものにお客様の目がいって、

その時僕らが初めて気が付いた。

「今のチョコレートじゃだめだ。

もっとわかりやすく食べやすく親しみやすく、

1歳から90歳の方が召し上がっても、

美味しいね、柔らかいね、やさしいね。

これが親子2代求めていた味。

ヨーロッパのチョコレートじゃない、博多の佐野家のチョコレート」

 

その時に初めて親父のレシピからもう一回ずっとひっくり返して、

親父が望んでいた食感、炊き立ての白米のねちっとした食感。

それにすべて、うちのチョコレートは合わせていった。

そこからチョコレートのブレイクは始まった。

そこの4~5年間で、一気に7000万円から2億7000万円まで伸びていった。

 

トリュフがお客様の方に向くのに時間がかかった。

自分の想いも大切。めげないプライドも大切。

でもいくら僕が鮮度を上げたものを作っても3日4日経ってはもう駄目。

その日に買って頂くようにきちんとしたものが必要なんだ。

想いを持って、プライドを持って、作るってことはものすごく大事。

「安心安全、これは絶対当たり前の事。

でもそこにいかに博多のお客様に喜んで頂く商品か、

お店の商品がきっちりお客様に向く。これがチョコレートショップ、

僕らのチョコレートショップはそこじゃないかな」

 

=次世代へのメッセージ=

僕は、今の若い方は素晴らしい子が多いし、才能も非常にあると思う。

自分なりに吸収している方も非常に多い。

ただ僕が一つ思うのは、

本当にその瞬間にひたむきさ、健気さ、これを忘れたらいけないと思う。

ホスピタリティという言葉が良く聞かれるが、

難しいことはよくわかりませんが、

「ありがとうございます」

「本当に感謝します」

あとは、ひたむきさを忘れないこと。

今の若者は僕ら以上に情報も才能も持っている。

ゲーム的な人生じゃなくて、本当にけなげに一生懸命やっていく。

そういう自分も逆にカッコいいんじゃないかな。

ひたむきさ、健気さ、これは人間として持っていると大きな成長をします。

 

 

 

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カウテレビジョンは2004年企業専門の映像制作会社として創業。インターネットTV局という客観的なメディアをもち、企業の主観による情報発信ではなく”客観的な情報発信”をお手伝いすることを主眼に、報道ドキュメンタリーの形式による取材を心がけています。

 

◎インタビュアー:高橋康徳

元テレビ西日本(フジテレビ系)報道記者。911テロ取材をきっかけに独立を決意。
ニュース・ドキュメント番組の制作実績4500本。世界で活躍する日本人経営者をインタビューし、インターネットテレビ局で配信中。

ふくやに学んだおもてなしの心~ショコラティエの先駆者~【チョコレートショップ】

チョコレートショップは、福岡市博多区綱場町にある、

博多で愛され続けるチョコレート専門店です。

「九州一お客が集まる洋菓子店」の歴史と成長の秘密を

2代目佐野隆社長に伺います。

 

「ふくやに学んだおもてなしの心」

(約20年前)明太子のふくやさんをよく覗きに行っていた。

常に、どこの支店に行っても素晴らしい笑顔。

それは、親しい友達にするような素晴らしい笑顔だった。

僕はそれまであんな接客を、500円や1000円の商品を売っているところで受けたことがなかった。

そこに感動した。

 

たまたま(ふくやの)川原正孝社長にお会いする機会があった時、怒られて目が覚めたことがある。

それまで親が守ってきた職業を、僕は無くならそうとしていた・・・。

「老舗の責任を果たせ。それは継続することやろ。

お客様の為に継続していくことやろ。頑張れ、それが老舗の責任や」

 

小さい大きいは関係ない。

続けること、それが親の為でもあり、お客様の為でもある。

そして、自分の人生の為でもある。

こっぴどく怒られて、目が覚めた。

 

今のチョコレートショップがあるのはふくやさんのおかげ。

その出会いがなければ、ずっと見守って頂かなければ今はない。

(この出会いがなければ)僕自身のチャンネルは変わっていなかった。

(川原社長が言われた)生き方、商品に対してのクオリティ、

大事にしていくんだという部分、そこに親父の魂がリンクしてきた。

 

その当時はわからなかったが、ふくやの接客は(いま思えば)「おもてなし」だった。

 

それまでケーキ屋さんはショーケースがある、

ショーケース越しに商品を渡す、それが一般的。

僕たちは、

お客様が見えなくなるまで「本当にありがとうございます」とお辞儀をしていた。

社員もその時いなかったから、僕一人だったから、

そこ(お辞儀)から始めました。

 

そうすると交差点の真ん中に店があったから、

信号待ちで停まっている車が「あれはなんや?」と。

僕は狙ったつもりでやっていたわけではなく感謝の意味でやっていたのことが、

「あの店は面白いな」「なんじゃあれ?」

というところからお客様につながっていった。

最高の笑顔で、見た瞬間にニコッと笑って「いらっしゃいませ」と、

笑顔が、本当に自然に出るようになったのが一番だと思います。

 

それから20年以上たっていますが、パティシエが表で頭を下げるのは今だに変わっていない。

1年生・2年生パティシエが、まずお客様に対して出迎える。

 

我々パティシエは、

「作って何ぼじゃない。作るだけを売っているのではない。

作り手がどれだけお客様に感謝できて、はじめて菓子屋。

パティシエパティシエと言われて、えらくなるんじゃなくて、

僕たちはお客様に作って食べて頂く、

このことをパティシエがわからないと、ただ裏で黙ってケーキをつくるだけだと、

『チョコレートショップのパティシエ』ではないと思う。

これが今までずっと変わらないチョコレートショップの『伝統』です」

 

「だから僕は挑戦したかった、チョコレート一本で」に続く。

 

チョコレートショップ→詳しくはこちらから

 

 

 

 

 

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カウテレビジョンは2004年企業専門の映像制作会社として創業。インターネットTV局という客観的なメディアをもち、企業の主観による情報発信ではなく”客観的な情報発信”をお手伝いすることを主眼に、報道ドキュメンタリーの形式による取材を心がけています。

 

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ニュース・ドキュメント番組の制作実績4500本。世界で活躍する日本人経営者をインタビューし、インターネットテレビ局で配信中。

九州一お客が集まる洋菓子店~ショコラティエの先駆者~【チョコレートショップ】

チョコレートショップは、福岡市博多区綱場町にある、

博多で愛され続けるチョコレート専門店です。

 

「九州一お客が集まる洋菓子店」の歴史と成長の秘密を

2代目・佐野隆社長に伺います。

 

 

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拓けたパティシエの道~ショコラティエの先駆者~【チョコレートショップ】

チョコレートショップは、福岡市博多区綱場町にある、

博多で愛され続けるチョコレート専門店です。

「九州一お客が集まる洋菓子店」の歴史と成長の秘密を

2代目佐野隆社長に伺います。

 

チョコレートショップを始めたきっかけは?

「両親がチョコレート屋をやっていたから」

 

1942年が創業。

実際は昭和17年以降。

戦争に入る前だったので、「敵国言葉」としてチョコレートショップという名前が出せなかった。

洋菓子もない時代にチョコレート屋。ずっと売れない店だった。

だから晩御飯はいつも、売れ残ったチョコレートが出てきた。

 

子どものころから、うちのおやじは「売れないチョコレート屋なんだ」という意識がずっとあった。

母や姉は家の仕事が終わってからパートに出て自分の学校のお金の工面をしてくれていた。

稼業だけでは生計が成り立たなかった。

 

このままだと大学を卒業したら、この貧乏なチョコレート屋を継がなきゃいけないと思って家出した。

大学2年の時。

東京に行きたかったが、お金がなかった。

まだアルバイト情報誌もない時代だったので、出来ることをアルバイトにしないといけなかった。

必然的にケーキ屋、チョコレート屋を選んでいた。

ずっと家を手伝ってきたので、中学の頃にはチョコレートを作っていた。

 

神戸の洋菓子店「ドンク」でアルバイトをしたが、始めは嫌々だった。

 

でも神戸のパティシエのかっこうは皆、いまのコック帽に白いコックコート、かっこよかった。

親父はステテコに前掛けだった。

「だけん売れんったい(うちの店は)」

 

向こうで彼女が出来た時、「トリュフが食べたい」と言われ、

バイト先で材料を貸してもらって作った。

当時まだトリュフは珍しく、「なんでお前作れるとか?」とびっくりされた。

「おまえ名前は?」「佐野です」

「出身は?「福岡ですああ、あの!?」

父は業界では有名だった。

 

「20歳くらいの頃で、カッコいいパティシエさんたちから、

教えてくれとか、勉強させてくれ、とか言われるんで、豚もおだてりゃで木に登っちゃいました」

社長は笑って言う。

そのままパティシエの道に入っていった。

そして25歳の時、福岡に戻ってきた。

 

「どん底から躍進は始まった」に続く。

 

 

 

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どん底から躍進は始まった~ショコラティエの先駆者~【チョコレートショップ】

チョコレートショップは、福岡市博多区綱場町にある、

博多で愛され続けるチョコレート専門店です。

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2代目佐野隆社長に伺います。

 

「当時、年商2500~3000万くらいだった」

親がいたころは嫌々後を継いでやったそういう意識、だから自分の気持ちがお客様に対して向いていない。

商品に対しても、店は交差点の真ん中だし、すべて売り上げが悪いのは僕のせいではない

周りのせい、親のせい、場所のせいすべて人のせいばっかりにしていた。

その中でおやじおふくろを続けて亡くした。

34歳の頃だった。

 

それまで支払いもしたことがなかった。親が全部やっていた。

いつも給料くれしか言わなかった。

 

年商3000万くらいの中で、給料を親はほとんど取っていなかったとその時はじめて気が付いた。

全ての苦労が親が亡くなった時に初めて支払いの大切さ、お客様の大切さ、

お客様が一所懸命ショーケースを見ていくしぐさ、

美味しいものを買いたい、どれにしよう、こういうのを子どもに買ってあげたい、

いろんな思いをショーケースをのぞいてるお客様から感じた。

 

その時、自分は小さい人間だなと、何もわかっていなかったと、

すべて人のせい、親のせいにしてこんな家の生まれたから、ずっと貧乏しとかんといかんとか・・・

 

でもお客様が一所懸命ショーケースを見ていく姿を2か月間見続けた時、

これは自分がチャンネルを持たなければいけない。

お客様をもっと満足させてもっと喜ばせて帰れるような店にしていきたい。

 

両親が死にもの狂いで何十年も売れないチョコレート屋をずっと続けてきて

一番苦しかったのは親父お袋だっただろうなと感じた。

その(苦しんでいる)姿を決して見せなかった。だから僕は生きているときは何もわからなかった。

親の死後ようやく悟った。

 

「両親の為にこのチョコレートショップを沢山のお客さんに来ていただくような店にしていきたい」

常に親父が言っていた「魂を入れろ」その意味がようやく理解でき始めた時、

本当にお店が、自分が変わっていった。

 

「ふくやに学んだおもてなしの心」に続く。

 

チョコレートショップ→詳しくはこちらから

 

 

 

 

 

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◎インタビュアー:高橋康徳

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借金250億からの生還【ウチヤマホールディングス】

北九州市小倉北区を中心に、北は北海道から、南は沖縄まで全国に事業を展開しているウチヤマホールディングス。事業内容は、不動産・カラオケ・飲食店・介護施設・ホテルにいたるまで幅広く、

従業員数は3300人、売上は年商180億円と勢いのある会社です。(2012年5月時点)

 

大企業を一代で築いてきた、株式会社ウチヤマホールディングス 内山文治社長内山社長。

もともと実家の老舗の米屋からスタートし、不動産事業を展開。

昭和40年の好景気の頃は、貸しビルを建てるとすぐに満床になる時代。

次から次にビルを建て、家賃収入も増え、事業は軌道に乗っていたという。

 

しかし、

バブル崩壊。

 

1年間仕事が出来ない状態で、銀行も金を貸してくれない日々が続き、

すぐに負債は250億にもなった・・・。

 

社長が語る「負債250億からの復活」とは?

 

経営者が語る歴史には当時の情熱と会社への想いが表れています。

カウテレビは、「情熱と想い」が視聴者に届く映像を制作しています。

 

 

 

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